本紙一〇〇〇号の合評会開かれる
労働者階級の主体形成に向けた問題提起を


 五月二十二日、『思想運動』一〇〇〇号の合評会が、本紙編集部ならびに執筆者らの参加で行なわれた。合評とあわせて、こんにちの情勢把握につなげた討論も行なった。以下にその要旨を掲載する。【編集部】

朝鮮半島の人民との連帯をめざして

 一〇〇〇号一面の主張のうち、とくに最後の段落の「この『戦争情勢』を絶好の機会ととらえ、かつ自らもそれを煽りながら、戦争遂行体制をつくりあげるという初志を貫徹する安倍政権・独占資本一体の意図をこそ見抜き、それに抗することがわたしたちの喫緊の課題である」の一文は重要だ。それとつなげて、二面の〈思想運動〉常任運営委員会による「プロレタリア国際主義の道を歩む――『思想運動』発刊一〇〇〇号を迎えての決意」は、わたしたちが何度も読むべき内容をもっている。なかでも、「日朝人民の階級的連帯の実現は、日本労働者階級のプロレタリア国際主義の試金石である」という本紙発刊以来の主張を、こんにちの情勢においていかに実践するか。
 米海軍原子力空母カール・ビンソンにつづいてロナルド・レーガンも朝鮮半島近海に向かったというのに、日本のテレビでは「朝鮮問題」という「朝鮮の脅威」を煽る報道ばかりだ。国会前で、「朝鮮戦争」挑発に反対しようというコールはあっても、その戦争の火種を朝鮮戦争から一貫してつくりつづけているのがアメリカだという認識がなければ戦争反対の運動はつくりえない。 
 「共謀罪」が、「朝鮮の脅威」をテコに成立させられようとしているなかで、「共謀罪」反対集会でもそのことに真っ向から向き合い反対する発言はない。マスメディアの垂れ流す実証的根拠なき「朝鮮報道」を批判的に見る視座を、今後も本紙は提起していきたい。
 「日の丸・君が代」反対運動のなかにも、アメリカと朝鮮は「どっちもどっち」だと、その軍事力や経済力のまったくの非対称や、アメリカ資本家階級が朝鮮に仕掛けている反共・反革命戦争政策を度外視して「対等」にとらえ論じる者たちがいる。この見方は、資本主義世界体制と社会主義世界体制の対立を矮小化して、「東西冷戦」構造を云々する見方と共通している。両方が「どっちもどっち」という見方では、現実が何を基底要因に発しどの方向に動いていくかが見えなくなる。
 たとえば「国家」に抑圧されている「市民」の自由と平等、集団は個人を抑圧する、といった見方は階級的な見方を遮断する。一一面、林輝一論文の引用するジョン‐リードの言葉を読み、けっきょく二つの階級しかないのだと実感させられる。自らの立つ労働者階級という立場を忘れてはならない。
 一面の絵「勝利に向かって」(画=金山明子)には、前近代を否定的媒介として近代を全体としてどうのりこえるかという問題意識がうかがわれる。この作品は二〇〇九年制作だ。大衆運動のイメージについて、当時と現在を比べどのような変化があったか、作者に聞いてみたい。
 「『思想運動』一〇〇〇号へのメッセージ」は、自分たちの執筆したものをこれらのメッセージを寄せてくださった人たちが読んでいるという緊張感を感じながら読んだ。また、『思想運動』編集部は作る側の者として大いに励まされた。それぞれの方の『思想運動』を見ている立ち位置が見えた。今後の要望として出されたことも含め、ていねいに読み直したい。
 五面のマニラ訪問記事(第八回キューバ連帯・アジア太平洋地域会議報告)は、二面「プロレタリア国際主義の道を歩む」の実践に当たる貴重な報告だ。末尾をサンチャゴ要塞に掲示されていた「日本兵によって多くのフィリピン人が虐殺された」というプレートの言葉が「安倍政権が消し去ろうとする歴史をまさに物語っていた」と締めくくっている点が重要だ。現在のプロレタリア国際主義にもとづく社会主義国人民との連帯活動を日本人民の立場から歴史的にとらえる視座が示されている。紙幅の関係で叶わなかったが、一〇〇一号に掲載された「マニラ宣言」とセットで掲載できればさらによかった。
 一〇面、〈婦人〉欄は、男女雇用機会均等法成立と労働運動への影響、「リブ理論」についてなど、とりわけ若い世代にとっては教わることが多かった。
 女性解放理論の学習の積み重ねや、七八年以来の毎年の国際婦人デー集会の積み重ねなど、〈活動家集団 思想運動〉の婦人運動の蓄積が紙面化された。

わたしたちの生きている時代とは

 一二面「いま若い人たちにすすめたい映画」では、『旅芸人の記録』についての遠藤裕二氏の文章、ことに末尾の「それがギリシャ共産党の共産主義者であって、人民はそれを覚えている」の部分が良かった。
 文在寅の大統領当選をどう見るか。
 韓国の労働組合のナショナルセンター・民主労総は、盧武鉉元大統領の新自由主義的労働政策に対して厳しい批判をもっていた。文在寅大統領は盧武鉉の大統領側近だった人物だ。文政権が真に労働者階級の立場に立つ政権かが問われる。資本主義内で必要な改革もあるだろうが、社会主義で搾取を解決しない以上、結局は金儲けをする意思の強い方が勝つ。
 また、「従北主義」と批判する勢力にどう立ち向かおうとするのか。国家保安法がいかに克服されるかが重要だ。文在寅一人に頼むのではなく、労働者階級が自ら権利をかちとる大衆運動をつくりだすことが重要だ。わたしたちもまた労働者階級の運動の観点から韓国の蔡萬洙 (労働社会科学研究所)や白喆鉉(全国労働者政治協会)の主張も参照しながら、文政権を見ていく必要がある。
 アメリカと中国という問題は常に考えておかなければならない。資本家階級はアメリカと結託することを考えるが、一部には中国と結びつく人びともいる。民族という観点は、運動が組織しやすいために運動内部に浸透する危険性がある。
 アメリカは中国などに対して「日米安保条約は日本の再軍備を防ぐ瓶の蓋だ」という「瓶の蓋」論を使う。米軍駐留は日本に軍事大国化をさせないため、と説明したこともある。中国の対米投資、ドル保有は世界最大で、米中の経済関係は深い。中国が主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)の動向を見るときも、中国と日米の対立の側面ばかり見て世界的な流れや、アメリカの動きを見ないと間違えるのではないか。
 マスコミはトランプ政権や安倍政権についても誤った報道をする。NHKは加計学園のことを報じない。安倍政権は労働者・人民の連帯を阻むために、いつ憲法を改悪し、いつ選挙をやるか計算している。政府・独占は憲法公布からすぐ改悪を考え始め、連綿とこんにちまでその意志と行動を貫いてきた。
 資本主義の危機と言っても、それを支える国家体制も電通・博報堂などの情報産業も資本家もしぶとい。そうしたなかで、九面のエッセイ「負けつづけて……。」の、「〝われわれは正しい。われわれの確信は、いつの日か現実になる〟揺るぎなく思うことも必要だが、それが独善的な孤立に陥ってしまえば、展望は開けない」にはおおいに考えさせられた。
 本紙発刊(一九六九年)の頃は、「状況は緩やかに着実に前進するという期待と確信は共通していたのではないだろうか」とあるが、社会主義をめざす世界の三大潮流が世界的に前進していた当時も、自ら切り拓いていかなければならないという認識であって、その条件を抜きにして楽観的にはなりえない。労働者の階級意識の解体に抗するという問題意識は会発足当時からのものだ。
 武井昭夫がかつて、自分の若い時は革命が世界で次々に成功して展望がもてたが、それに比べて今の時代は暗いと言ったことはあるが。
 資本家階級に労働者階級が「負ける」とは、資本家階級の絶対的な強さを意味するのではなく、相手の相対的な強さを許している労働者階級の側の相対的な弱さ、たたかいの不足を示す。どんなに資本主義が危機に陥っても、労働者・大衆が共闘を広げ相手を追い落とさなければ勝つことはできない。労働者階級の主体の問題ととらえなければならない。
 そもそも、負けたと言えるほどの闘いができていないことの方が問題ではないか。負けたと言うためには、闘いの総括がなければならない。総括とは、なぜ負けたのかを分析し、その要因を克服する方針と運動をつむぎだすことだ。労働者階級は資本家階級を打
 ち倒すまでは「負け」つづけるが、その経験を通じて自己批判することが可能だ。それを貫く理論を鋭くすることが体制変革を考えるならば必要だ。「特定秘密保護法」、「戦争法」にいたるまで悪法の成立が強行されてきた。その真の総括とは何かを本紙は主張してきたし、これからもしてゆく。

肝心要は THEМ and US

 今の状況ならこうするというものを具体的に示すことが大事ではないか。二面で二瓶久勝さんが「政治家が自分の政治生命を賭けて取り組むと発言したならば、なぜ審議拒否し、国会にわれわれとともに座り込み、最終的には議員辞職しないのであろうか」と書いているが、どうにもならない現状に対し、職場で「議員生命を賭けてやればいいのに」と話すと伝わる。共謀罪の集会をやったら次はどうするのかが提示されればいいが、されなければけっきょく国会に、選挙に引き戻されるだろう。
 六面、目取真俊氏のエッセイで、翁長知事は今こそ埋立て承認撤回をすべきで「慎重になりすぎると、機会を逸してしまい、知事は本気で止める気があるのか、と不信感が高まっていく」と書いているがどう見るか。翁長知事を支持するオール沖縄体制は宮古、浦添、うるまの市長選の自公候補勝利にみるように弱まってきている。
 石垣市が拠点で沖縄二紙に批判的な『八重山日報』が沖縄本島で販売を開始したが、『産経』や日本会議、幸福の科学との関係が指摘されており、分断工作が強化されているようだ。県民大会や集会にも参加するが、現場で阻止することが重要だという目取真氏の主張は一貫している。
 「本土」からわたしたちは、現場の闘いへの連帯をいっそう強め、世論を押し上げていくことが重要だ。
 総評解体で労働者が階級的な力を発揮できなくなった日本の運動の状況において、現状に疑問をもち状況を変えたいと考える人びとに届く新聞をつくることが、変わらざる本紙の使命だ。そのことを追求するなかに、マルクス主義の理論的再建を意識すべきだ。
 そうした学習の機会として一定機能してきた労働組合や学生運動がなくなっているなかで、階級とは何か、なぜ職場・生産点なのかといった原則に立ち返り繰り返し読者に語りかける必要があるだろう。「THEM and US」、やつら(資本家階級)と俺ら(労働者階級)の非和解性が、さまざまな現象の根本にあることを掴み、そこを基点にすることで運動の展望が開ける。【文責=編集部】

(『思想運動』1004号 2017年7月1日号)