京都でロシア革命百周年記念映画祭
今もなおアクチュアルな課題


 ロシア革命百周年記念映画祭「〈映像に刻まれたロシア革命〉」と銘打って、京都大学人文科学研究所(以下、人文研)が主催する連続レクチャー上映会が十一月二十三日~二十六日に開催された。
 取り上げられたのは「革命期から雪どけ期」にかけて製作された以下の映画作品。そのタイトル名(サイレント=S、トーキー=T、製作年)を上映順に記す。①一九〇五年革命を背景とするゴーリキー原作『母』を映画化したプドフキン監督の『母』(S、一九二六)、②一九三二年原作の同名戯曲を革命五〇周年にウラジーミル‐ヴィソツキー主演で作品にした『干渉戦争』(T、一九六八)、③一九一八年内戦期のバクー・コミューンの悲劇を扱った『二六人のコミッサール』(S、一九三三)、④エイゼンシュテイン監督の革命一〇周年記念の『十月』(S、一九二七)、⑤革命二〇周年に製作された『十月のレーニン』(T、一九三七)、⑥二月革命を扱った『ロマノフ王朝の崩壊』(S、一九二七)⑦貧農出身赤軍司令官が対白軍戦のなかで政治的成長を遂げていく姿を追った『チャパーエフ』(T、一九三四)である。
 『京都新聞』がこの映画祭を取り上げ、主催者である人文研の伊藤順二氏の「二〇世紀最大のできごとなのに、忘れ去られようとしている」ロシア革命について再考を促したいとする発言を紹介している。この問題意識に注目し、筆者は最終日以外の三日間に参加した。映画の内容はさることながらそれらの作品をめぐりどのような講義・討論がなされるのかに筆者の関心はあった。ゆえに以下は、各日のレクチャーの内容に焦点をあてその要旨を報告する。

連続レクチャーが明らかにしたもの

 初日は人文研の小川佐和子氏による「革命前後のロシア映画、ロシア・ソ連映画の日本受容:京大人文研所蔵山本明資料の紹介」。サイレント初期の黎明期ロシア映画がどのようなものであったか、残された映像フィルムデータを使い詳細に解説。帝政期ロシア下の映画はフランス映画文化の影響を受けて大きく普及し、二〇〇〇本以上の文芸作品を生みだした。その映画ストーリーのロシア的展開では悲劇的結末が好まれて、ハッピーエンド物語はわざわざ悲劇に改変されるほどであったという。筆者はチラシ記載の「ロシア・ソ連映画の日本受容」報告に期待していたが、上映運動時の『映画「母」上映ニュース』というガリ版刷り資料配布があるのみで済まされ、思いを残す結果となった。山本明資料は戦後民主主義運動の大きなうねりのなかで模索された関西の「国民文化会議」運動の研究・解明につながる貴重な膨大量の第一次資料である。山本資料が人文研所蔵となる経緯には、〈活動家集団 思想運動〉の古志峻が深くかかわっていただけに、氏の解説を期待していたのであった。今後の研究成果の発表を待ちたい。
 二日目のレクチャーは前掲伊藤氏の「巨大油田都市への視線」。映画『二六人のコミッサール』の舞台は日本とのなじみが濃いとは言えないアゼルバイジャン。しかもそこでくり広げられたできごとが一〇〇年前の諸政治勢力を背景とする革命・反革命の錯綜した関係であるだけに、事前の十分な下調べもなしにこのサイレント作品を理解することはむずかしい。しかし、氏のアゼルバイジャンとバクーをめぐる簡潔な社会的・歴史的関係をまとめた資料や年表とレクチャーに大いに助けられた。二〇世紀初頭のバクーは二〇万人超の人口を擁する「世界で初めて工業化したムスリム都市」。一九世紀バクーではノーベル兄弟が石油会社を起して全世界の産油量五割の取引に関与していた。ロシア革命時のチフリス革命委員会は臨時政府支持派、バクーだけがボルシェヴィキ派。一九一八年四月、バクー・コミューンがバクー市政を掌握。初夏になるとチフリス政権・オスマン共同軍がバクーに迫り、九月にはバクーを占領、捕虜となった「二六人のコミッサール」は砂漠に連行されて処刑される。装甲列車名にコミッサール名が冠されるなど、この英雄的コミューンの戦いは長く記憶された。
 三日目は天理大学の大平陽一氏による「映画『十月』における映像言語の実験」。氏によれば、昨今のエイゼンシュテイン評価は高くないが、それはモンタージュ理論と知的映画理論とが混同視された結果だ。映像言語によって論理的思考を映画化しようとする知的モンタージュ主義の立場(知的映画論)の期間は意外に短く、『十月』製作の前後数年間だそうだ。氏が示すエイゼンシュテイン自身が知的映画論から遠ざかっていったとする主張をかいつまんで紹介すると、もともと観客の感覚・情動面に関心を持っていたことは「アトラクションのモンタージュ」(一九二三)で明らかだが、知的映画論からの移行にあたってかれは「内的独白」にまず関心を向け、次には「感覚的思考・野生の思考」と取り組み、最後に「受容者志向」へと突き進む。氏は「演劇の第一の目的は観客である。観客を所期の気分に組織すること──それがあらゆる功利的演劇の目的だ」という受容者志向の文章を提示して、エイゼンシュテインの映像論が理屈っぽくて観客に観方までを強制したりしてそのような映画は面白いはずがないなどとする世評によって貶められたエイゼンシュテイン像の見直し論を展開した。氏のエイゼンシュテインを論じたものとして「エイゼンシュテインとヴィゴツキィ」論(二〇〇五天理大学学術リポジトリで閲覧可)があることを付言する。

ロシア革命に向き合う姿勢は

 会場の京都文化博物館フィルムシアターは席数一七〇程度である。その会場は三日間とも熱心な聴衆でほぼ埋められた。連日、人びとをこの企画に運ばせた動機は何であったのだろう。主催者の意図は、案内チラシにあるように、七本の映画がロシア革命をどのように描いているか、再考することにあるという。それに際して二つの具体的視点を提示する。「『革命』というできごとや思想、それへの態度を再考する」こと、映画という「マスメディアを通した記憶/記録の共有」のアクチュアリティを再考することである。しかし、足を運んだ人びとの動機とこの主催者が促した再考のありかたとがどのように切り結ばれたのか、行けなかった最終日はどのような議論の場になったであろうか。筆者が気になるのは、はたして今も〝ロシア革命〟を内なる問題として意識して参加した人はどれほどだっただろうかということである。周囲では、〝ロシア革命〟も〝社会主義〟も主体的課題ではなく、前世紀に終わったと過去形で考える人が多い。果たしてそうなのか。筆者はロシア革命も社会主義もどちらも眼前に突きつけられた〝アクチュアルな課題〟であると考え、ロシア革命がもつ弱さはわたしたちの弱さであり、ソヴェトの崩壊はわたしたちの敗北だと考える。今回の七本の作品もこのような視座から見て、その思いを新たにしている。【木原健一】

(『思想運動』1013号 2017年12月15日号