国際メーデー一三二周年にあたって
労働者の闘いの歴史的成果を破壊する「働き方改革」

資本の暴力に労働者の階級的闘いで対抗しよう

 「森友・加計」事件をはじめとした数々の不正・犯罪行為がいかに明るみに出されようとも権力の座に居座りつづける安倍独裁政権。その反動政策があらゆる分野で展開されるなか、労働者のいっそうの労働強化・搾取強化のための法制度改悪が「働き方改革」なる欺瞞的呼称の下に押しすすめられようとしている。
 「労働時間の絶対的上限規制」と称して、過労死ラインの一〇〇時間残業が法的に認可されようとしている。一日八時間労働であれば、月間二一労働日として月一六八時間。一〇〇時間残業を加えれば月二六八時間、一日にして一二・七時間労働。一九世紀後半の労働状態に逆戻りだ。あわせて裁量労働制拡大や高度プロフェッショナル制など、労働への時間の縛りを取り払うことが狙われている。
 労働力を時間で量って売るという概念こそは、老若男女さまざまな条件・能力をもちあわせた労働者が、労働をつうじて資本に殺されないために闘いとってきた歴史的成果にほかならない。それすら根こそぎにしようとする資本の暴力は、出口のない資本主義の危機の裏返しなのだ。

メーデーは労働者の闘いの結集の場

 ストライキ。今一八春闘を顧みればこの言葉がいかにも「非現実」と響く。一九世紀、八時間労働制をかちとるために先達たちはどう闘ったか? 一二時間~一四時間という過酷な長時間労働が当たり前だった一九世紀後半、八時間労働制を求める各国の闘いは高揚し、なかでも米国各地で「八時間労働制が敷かれるまでは仕事道具を手にとらない」と、五〇万人がゼネストやデモに立ち上がった。
 この日、一八八六年五月一日がメーデーの起源だ。とりわけシカゴでは平和的な労働者集会に対する資本・権力の弾圧が死傷者を生み、ストの指導者が「共謀罪」の容疑で逮捕され八名が絞首刑(ヘイマーケットの虐殺)となった。
 この闘いが三年後の第二インターナショナル結成の契機のひとつとなり、八時間労働制を求める闘いはいっそう高揚した(国家による法制化は、ロシア社会主義革命政府による実現までなお三〇年近くの闘いを要した)。
 そうした流れを受けて日本では、一九二〇年「八時間労働制の実施」を訴えた第一回目のメーデー集会が開催され、戦争遂行体制への移行のなか多くの弾圧を受けながらも三六年まで続けられた。敗戦後は「働けるだけ喰わせろ」をスローガンに四六年に再開されて(食料メーデー)以降、政府・独占資本という階級敵を見据えた労働者階級の、文字通り闘いの結集の場となっていった。

今日の状況は一九世紀後半と変わらない

 現在、世界では約八〇の国々でメーデーを祝日としている。日本でも多くの組合が、労働者の国際的祭典であるメーデーの休日化を要求して闘った。企業・職場単位では、労働協約や就業規則による休日化の実現や、要求行動の積み重ねによって有給休暇か振替休暇によるメーデーへの参加を認めさせてきた。
 しかし、こんにちの状況は一九世紀の一三二年前と重なるにもかかわらず、ストライキなど権利獲得の現実的手段が「非現実」的とも見える。この現状こそが問題なのだ。
 憲法に保障された労働三権、とりわけスト権の行使は労働者の要求実現のために不可欠だという事実を、わたしたちは何度でも想起しよう。職場・生産点での試行錯誤・討論を経た行動にこそ、労働者の階級意識の再生の鍵がある。そうした実践の一つひとつが、ストを実行しうる態勢づくりに向けた一歩一歩なのだ。

労働運動の歴史的国際的流れに連なろう

 メーデーの日も働いている労働者が、雇用労働者五五〇〇万人余(うち非正規労働者が二〇六〇万人)のうちの大多数を占める現状がある。この呼びかけ(新聞)を手にとったみなさんは、仕事の休みをとってメーデーに参加されただろうか? 全国各地のメーデーを祝う集いには、実際どれくらいの労働者が参加しただろうか。もし「メーデーは会社休みですか?」「メーデーは有給休暇とれそうですか?」と若い人に問いかけたら、たぶん「なぜ休みなの?(平日なのに)」「なぜ休むの?」という答えが返ってくるだろう。そもそもメーデーに集う意味を知らない世代、メーデーに参加する意義を理解できない労働者が年々増えているなかで、メーデーの起源やその闘いの歴史を振り返り、その意義を再確認することがいまこそ必要だ。
 一九九七年以降、労働分配率は下降の一途、労働力の再生産も成り立たない労働者が二〇〇〇万人を突破してもなお増大しつづけている。製造業をはじめとして日本の生産力は著しく停滞し(製造業は一九九五年から二〇〇〇年までOECD加盟国中一位、二〇一五年現在同一四位)、デフレからの出口は見えない。しかしこの惨憺たる現状こそが、資本主義の延命策=とりわけ七〇年代後半以降遂行されてきた新自由主義政策によってつくられた現実なのだ。そして、資本とその政治的代弁者たちにとっての「解決」のかたちこそは、労働者からいっそう搾り取ることで決定的破綻を先送りしようとする「働き方改革」なのだ。一方では、資本にとっての最大の儲け策=戦争を招来する財界・軍産複合体が活発に蠢いている。
 状況はわたしたちに問うている。この政治・経済システムを根本から転換する闘いをすすめない限り、労働者の強搾取体制と戦争遂行体制づくりは進行するだけではないのかと。
 社会主義をめざす労働運動・大衆運動の歴史的・国際的な流れと、自分たちの闘いとの紐帯をいっそう強め、明日からの闘いの糧としよう。
 国際メーデー一三二周年万歳! 【田沼久男】

(『思想運動』1021号 2018年5月1日号