参院選直後に鋭く問われる歴史認識
激動期の世界、日本人民の進路を考える


新聞の論調に見る支配階級の動向

 参院選の結果を受けての新聞各紙の主張や政治担当責任者の論評のなかに、「三分の二はとったがあわてて改憲に踏み込むな、自民党の改憲草案は見直せ」といったニュアンスの記事が目に付く。もちろん「時代の変化」「安全保障環境の変化」で改憲は必要だとの前提はある。しかしそこには、各社の現状認識や思惑がすけてみえる。以下紹介してみる。敵を知れば……。
 『日経』七月十一日号は一面に政治部長・内山清行が「憲法改正には大変なエネルギーがいる。改憲論議を進めるのはよいとしても、国論を割ったまま国民投票に進めばどうなるか。英国の欧州連合(EU)離脱騒動をみればわかる。/今の日本に『改憲も脱デフレも』と二兎を追う余裕はない。/選挙戦で争点となったアベノミクス是か非かの論争は、政治的には決着がついた。民進党など野党はアベノミクス成功に建設的な協力をするか、少なくとも反対のための反対は控えるべきだ。
 国政選挙に4連敗してなお『納得できない』では民意を問う意味がない」と書いた。
 また同日付「社説」では「そもそも自民党は改憲が党是で、草案までまとめているが、2次草案(二〇一二年の「日本国憲法改正草案」のこと)は野党時代のものとはいえ、保守色が濃すぎて多くがのめる代物ではない。見直しの党内論議を求めたい」とつめよってみせた。
 『毎日』も七月十一日朝刊一面に「改憲勢力3分の2超す 馬車よ ゆっくり走れ」主筆・小松浩を掲載し、「自主憲法か絶対護憲か、という55年体制下の対立を、再び繰り返してはならない。極端と極端の衝突は国論の分裂を招き、国家を不幸にする。国民が求めるものは、両者の中間にあるはずだ。/それには、自民党が復古調の改憲草案を撤回することである。/野党も護憲一本やりのかたくなさを捨て、率直に憲法の是非を語る時だ。/広範な合意形成のため、与党と野党第1党が一致しない限り改憲を発議しない、と国民に約束してはどうか。」と記している。
 同日の社説では「自民党草案は、前文で日本の伝統を過度に賛美し、天皇の国家元首化や、自衛隊の『国防軍』化、非常時の国家緊急権などを盛り込んでいる。さらに国民の権利を『公益及び公の秩序』の名の下に制限しようとする意図に貫かれている。明らかに近代民主主義の流れに逆行する」と書いた。
 『読売』も七月十一日、政治部長・前木理一郎名で「腰据えて政策を」を掲載。「全世代を将来への不安が覆っている。その主因が少子高齢化であることが明白でありながら、何年も待機児童問題一つ解決できない。……/政争などしている場合ではない、それが国民の率直な思いだろう。/……野党はふがいなかった。民進党は……国民をがっかりさせた民主党政権時代からの違いが見えず、『政権を任せられる政党』と見られていないためだ。基本政策が大きく異なる共産党との共闘は、有権者にそうした不信を一層つよめさせたのではないか」などと記している。
 『産経』は、七月十一日朝刊一面で政治部長の有元隆志の文章「いまこそ憲法論議を」を掲載し、「集団的自衛権の限定行使を認めた安全保障関連法をめぐる議論に結論が出た。……同法を『戦争法』と名付けて反対し、32ある1人区で統一候補を立てた民進党や共産党は多数をとれなかった。彼らのいう『国民の声を踏みにじる暴挙』との主張はもはや通るまい。……与党内からも憲法改正にあたり9条をさけようとする声も出ているが、いま日本を取り巻く状況から見ても、憲法審査会では9条を避けずに早急に議論すべきだ」と気を吐いている。

与野党内での改憲に向けたかけひき

 こうした動きと連動して、自民党の谷垣幹事長は、「わが党だけで決められるものではない。野党第一党とも問題点をすりあわせる必要がある」「国論を割ってはいけない」と繰り返し発言している。山口公明党代表も「改憲勢力3分の2というくくりは意味がない。改憲を否定しないという意味では民進党も仲間だ」と語っている。いっぽう安倍首相は「民進党の中にも憲法改正の必要性を感じている方はいる」「自民党案をベースにしながら、どう3分の2を構築していくか。これがまさに政治の技術と言っていい」などと語り、微妙な違いを示している。
 民進党幹事長の枝野は元々改憲派だが、投票後も自分は「護憲ではない」と述べ必要な改正は容認する考えを強調している。ただ、自民党の憲法改正草案に関しては「立憲主義を否定するもので、こうしたものを進めていくことには協力できない」とし、議論に応じない姿勢を示している。岡田代表は「憲法審査会を動かすことには異論はない」としながら「今の自民党憲法改正草案をベースにする限り問題がある。首相の立憲主義の考え方が間違っている」と述べている。共産党の志位委員長は「安倍政権下の憲法改定は認められない。安全保障関連法の廃止は引き続き主張していく」とする。
 自民党執行部内の微妙な意見の違い、それが本心なのかどうか疑わしいが、三分の二をとって主導権を握ったことは、はっきりしている。かれらは民進党内にある対立、立憲主義派と前原や細田らの積極的改憲派との間に楔を打ち込んでいくことを考えているのである。
 自民党や自民党を支える財界のメンバーもそこのところはわかっていて、議会では三分の一以下だが、世論調査では改憲反対、とりわけ9条改憲反対の声の方が多いという状況のなかで、早々に憲法審査会を動かして改憲状況を作り出そうとは考えていない。そして「9条の問題にみんなが関心を持っているが、一番重要なところは集団的自衛権の解釈改憲で終わっている」(御厨貴・東大名誉教授)という認識もある。緊急事態条項だけでもやってみて失敗したらどうにもならない。だからもう少し民進党のなかをガタガタと揺さぶって、改憲反対派をもっと切り崩した形にしていくことを考えているはずだ。
 にもかかわらず、弁護士の伊藤真氏は「改憲勢力が3分の2を超えたことには何の意味もない(では三分の二阻止をかかげて戦ったものは何のために闘ったのか?)。憲法改正の国会発議は、具体的にどの条文をどう変えるかという点について、3分の2の賛成が得られて初めて行われるからだ。……安倍晋三首相に批判的な勢力や、改憲反対の市民運動に取り組む人たちは『3分の2を改憲勢力に取られた』として憂慮したり、落胆したりする必要はない」とし、「今こそ学び、次の総選挙に」と呼びかける(七月十二日『毎日』)。
 果たしてそうか。もちろん改憲反対闘争がこれで終わるわけではないし、それはより強化されなければならない。憲法改正の手続き論も伊藤氏のいうとおりであろう。しかし数を頼みに憲法や手続きを無視してさまざまな悪事を働いてきたのが安倍政権であることを忘れるべきではない。もちろんわれわれの闘いは、選挙や国会内の力関係にだけ縛られる必要はない。むしろ、憲法改悪反対運動のなかに資本主義の存続を前提とした立憲主義だけを問題にする傾向があることを批判する必要があるくらいだ。
 憲法学者の小林節氏は、名だたる改憲論者であったし、いまもそうである。その立憲主義論にもとづく「安倍式改憲論反対」論に、労働者人民が無批判に乗ることの危険性を、われわれはもっと指摘するべきだったのだ。改憲反対運動のなかで、資本主義を土台にした立憲主義そのものを問う視点――労働者人民はどういう社会を建設すべきかを問う視点――はほとんど皆無と言ってよかった。多様な意見、多様な闘いが呼びかけられつつ、運動は国会前の抗議行動、署名、そして選挙に、ほぼ限られた。学者・知識人・有名人が運動と闘いの論理の形成に参加するのを拒む必要はない。しかし、改憲という、日本の労働者人民の生活に直結する問題での労働者・労働組合の動きは弱かったし、そうした視点の強調は弱かった。

「国民」の意識の劣化

 「3分の2って何?」の衝撃=与良正男が,『毎日』の七月十三日夕刊に掲載された。それによると、選挙戦のさなかに『高知新聞』の記者が高知市内で「今回の参院選は『3分の2』という数字が注目されています。さて何のことでしょうか?」と町を歩く一〇〇人に聞いてみたら、結果は、まったく知らない人は八三人。知っている人は一七人に過ぎなかったそうだ。
 『毎日新聞』が投票日の十日に全国の有権者一五〇人に聞いたアンケートでも六割近くの八三人が、このキーワードを知らなかった。「それって雇用関係の数字じゃない?」と答えた人もいたという。
 「三分の二」は、民進党がポスターにして訴えもしたのだが、多くの人が「それナーニ」、ほとんどそんなこと考えてないし、理解もしていない。別の記事では「憲法の改正は国民投票で決まる」のを初めて聞いたという人がいたという。憲法問題が一番の争点になっていなかったし、安倍たちが争点隠しをしたし、マスコミ、とくにテレビが選挙報道を極端にへらしたこともあるらしいが、やはり民衆の意識がものすごく後退しているのではないか。点取り主義の学校教育、学生運動の消滅、労働者人民の学習の機会の激減などで、社会問題を判断する、いやそもそもそれを知る、感心を持つことすら奪われているのが現状なのだ。
 いっぽうで、「北朝鮮」による核・ミサイル開発の継続や中国による軍事力の強化、海空域における活動の活発化が、「日本をめぐる安全保障環境の変化」として繰り返し宣伝され、これだけは「国民」の大半に受容されている。
 民進党の場合は、比例代表に相当数の労働組合の組織内候補が出ていた。しかし結構落選している。JR総連も現職が落ちた。トップは電力総連だ。民進党の支持基盤そのものが「反原発」ではない労働組合で構成されている。こういうねじれが、選挙に反映していた。もうずいぶん前から、支配階級は選挙活動に対する労働組合の活動を規制したが、それが年々効いている。しかし日教組出身の輿石前議員の地盤である山梨では勝っているし、労働組合が緊張感をもって組織活動をしているところではそれなりに健闘している。
 タガを緩めたらひっくり返される。この危機感の強弱が支配階級と人民で違うのだ。『日経』七月十一日「社説」は「(民進党は)選挙戦で、改憲勢力による3分の2確保の阻止をかかげて戦うなど、まるで一昔前の社会党のようだった」と揶揄していたが、支配階級にそういわれるような闘いを作り出すことが、敵に脅威をあたえるのだ。民主党政権時代の悪いイメージが強いから、民進党に票を入れないという意見がある。しかしそれは、リーダーを選んでみても、それを支える労働組合運動なり、大衆運動がないと、一時的には成功しても維持できないという事実を示しているだけだ。
 日本共産党は議席も伸ばし、比例代表の得票数も前回参院選の五一五万から六〇一万票に増えた。しかし、目標の八五〇万票・九議席には達しなかった。そのことの総括はひとまず措くとしても、共産党の指導部は、安倍政権が明確にブルジョワ階級の階級意識にもとづいて反人民政策を進めていることへの階級的認識が甘いのではないか。
 米日支配階級は、中国やBRICs、アジア諸国の台頭を前に、一五年ほどの遠からずのうちに、米日のGDPを合計しても中国に適わない事態の到来を予測している。だからこそ、日米の「血の同盟」でこれに対応しようと、さまざまな手を打ってきているのだ。これと対決する労働者階級の指導部、そして大衆運動をどう形成していくのかが問われているのに、共産党は相変わらず選挙しか策がない。労働組合の組織率・闘争力の低下は、御用組合化している連合のみならず全労連にも顕著に現われている。若者のなかで、共産党系全学連の学園での闘いはどう組織されているか。それはもちろん共産党だけの問題ではなく、われわれ自身の問題でもある。しかしこの闘いは、決して共産党がよく言う「市民」といったくくりで組織・成功するものではない。労働者階級と、未来の労働者階級といった観点からの再生の取り組みこそが、求められているのだ。

天皇の政治利用

 ここまで書いてきた時、七月十三日夜、天皇の「生前退位」のニュースが流れた。支配階級は衆参両院での〝改憲勢力〟三分の二状況の達成をみるや、ただちに行動に出た。先にも記したように、安倍は十一日、参院選を受けて党本部で記者会見し、憲法改正について「わが党の案をベースにして、どう三分の二を構築していくかが、政治の技術だ」と述べ、野党時代につくった自民党草案をもとに議論を主導する考えを表明した。二〇一二年四月二十七日に決定された、自由民主党の「日本国憲法改正草案」は、
「第一章 天皇
第1条(天皇)
 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」とする。
 現憲法で象徴とされる天皇を元首に変える。こうした議論を起こすことによって、また、いっぽうで平和を愛する老齢の天皇の意思を尊重すべきと世論を煽り立て、これに反対するものは非国民とレッテルを貼る。元首化が無理でも、あわよくば実質的元首化をより強化する。人民の中にある天皇制支持の空気を利用して支配の強化に使う。ブルジョワ支配階級の先手を打った分断と統合攻撃である。
 わたしは天皇制に反対である。共和制を求め、現憲法でも第一章はなくすべきだと考える。支配階級は、安倍政権に反対する勢力の立憲主義の擁護論に、立憲君主制の明文化を対置しているのだ。「明治維新一五〇年」も徹底的に利用するだろう。
 「皇室典範2年かけ改正案」の大見出しが『産経』七月十五日号に躍っている。二〇一八年九月に自民党総裁の任期が切れる安倍が、一八年九月の党大会で党則を変え、総裁を三期(計九年)可能にするとの話が、まことしやかにささやかれている。共産党は、そして改憲反対勢力はこれにどう対応するのか。
 問題は端的に示されている。戦争と人民抑圧にしか道を見いだせない資本主義。危機に瀕しているのはブルジョワ支配階級なのだ。この支配を打ち破ること、その階級的認識こそが労働者階級の未来を切り開く。
 東京都知事選での野党統一候補の問題も含めて、原則と協働の在り方が鋭く問われる事態が突きつけられている。歴史認識・イデオロギー闘争を欠いたプラグマチックな対応では、支配階級に足元をみられ、右へ右へと押し流されていくだろうし、労働者階級の強固な部隊の形成にはつながらない。それは社会党が歩いた道だ。こうした考えも含めて、現在の安倍政権に対する闘いの在り方が討論・検討されるべきだ。資本主義対社会主義、階級闘争、イデオロギー闘争の時代は終わっていない。否、むしろ激動する世界と日本にあって、このことの重要性を安倍たち、そしてそれを支える「日本会議」、「創生『日本』」、その広告塔をつとめる櫻井よしこなどはわかり過ぎるほどわかっている。
 労働者人民、学者・知識人、改憲反対闘争などの市民運動をになう人々の間にあって、常に、私的所有の廃止を訴える共産主義者たらんと志す者の任務は、非常に重い。【広野省三】

(『思想運動』984号 2016年7月15日号)