演劇時評劇団どろ公演『例外と原則』 
変革の主体形成にむけた演劇的試み
ブレヒト教材劇の今日的可能性を考える
 

 神戸市長田区の劇団どろのアトリエにてブレヒト没後六〇年、八木浩没後三〇年を記念して七月八日~十日ブレヒトの教材劇『例外と原則』(演出=合田幸平)が三六年ぶりに上演された。
 この作品は、商人が、石油発掘の利権獲得のために苦力と案内人を雇って旅をする話である。目的地にいち早く着くために過酷な労働強化を強いる商人は、宿場から先は警察の保護がない砂漠地帯に入るため、苦力に同情的な案内人を、宿場で解雇する。案内人なしの旅は、苦力にとってより危険が増す。商人は、雨で水嵩の増した危険な川を苦力に無理やり渡らせて腕に骨折まで負わせる。砂漠のなかでの野営の場では、二人にとって大事な水が底をつき、商人は(自分の水筒でこっそり飲むのを隠しながら)喉が渇くとうそぶく。その言葉を真に受けた苦力は宿場で案内人からひそかにもらった水筒を商人に差し出そうとするが、商人は水筒を石と勘違いして苦力を射殺する。
 苦力の妻が告訴し、裁判が開かれるものの、裁判官は、商人は苦力を旅の道中さんざんこき使い、ひどいめに遭わせたゆえ、苦力から恨みを買い報復されることこそあれ、苦力から「人間的な善意」(例外)を期待できえる状況ではなかったと見なし、この階級社会の原則に照らして、商人が苦力に恐怖を抱くのが当然で、水筒を(自分を攻撃する)石と見誤ったのはやむを得なかったと結論付け、「正当防衛」「無罪」とする。
 この作品は、この社会のあり様を、とりわけ資本主義体制下での資本家と労働者との関係を、さらには支配者側の利益を擁護する警察権力や司法・裁判所の役割を的確に表わした作品である。そして資本や支配者の側は、常に階級的(原則的)にふるまうが、被支配者側は、人々の生活を豊かにすると称した「開発」や「経済発展」のイデオロギーに騙されやすく、また支配されているもの同士が分断、対立させられたり、真実を覆い隠すことに加担させられる。ここに登場する商人は、常に階級的利害と警戒心(原則)を忘れずに行動するが、苦力は、労働組合に入っていない日雇い労働者ゆえ、常に商人の顔色を伺いながら行動する。商人からすれば、苦力から「人間的」な「善意」を期待する「例外」はありえない。それに無自覚な苦力は、「善意」を施すことで自らの破滅を導く。裁判では、この社会の不条理が階級的な視点から見事に浮き彫りとなる。

「演劇」の枠に捉われない上演方法を

 ブレヒトの教材劇は、「演ずるものが自ら学ぶ」「演ずるものと観るものが共に学ぶ」ための作品である。今回の劇団どろのように、観客の前で上演する場合は、演ずる者と観客が同じ立場で、場合によっては、劇の進行を途中で止めて問題点を議論、整理しながら先に進むといったワークショップや公開稽古のような上演方法の方が、この作品の持ち味がより発揮されたのではなかろうか。わたしが観た日は、特別に終演後にアフタートークがあり、観客席から自由に感想を求められ、中には中学生も発言して、この作品が観客の意見や疑問を引き出すことに寄与していた。しかし、観客席の声を聴くだけでなく、実際に演じた人たちが、稽古の過程でこの作品から何を発見し考えたのかをもっと聞いてみたかった。というのは、舞台の進行や登場人物の行動にわたし自身、何度かストップを掛けて、演技者に問いかけてみたい場面や身振りが多々あったからである。

過去の多様な上演

 ブレヒトの教材劇は、一九二〇年代後半から三〇年代なかば、ドイツ労働者のための音楽祭のために作られた音楽劇である。当時ドイツでは五〇万人の労働者の合唱サークルが存在していた。『例外と原則』は、一九三〇年に書かれ、一九三七年九月、モスクワで発行された『国際文学』に掲載された。その後、アジア、アフリカ、南米などの反植民地・反帝国主義の闘いの現場で上演されるなど、教材劇の中でもっとも多く上演されてきた。日本でも一九六〇年、七〇年前後のいわゆる政治の季節や労働運動がまだ盛んな時期に、職場演劇サークルで多く上演された。六〇年代初期には、「三期会」や「新人会」など俳優座系の若手グループが、六〇年代なかばには俳優座内の「ブレヒト研究会」が、ストライキ中の大阪の労働組合「関西生コン」に招かれて上演したところ、裁判等の場面で客席から笑いが起きたという。わたしも労働者演劇サークル「逓電」にいた頃、七〇年代なかばスト権ストや助手廃止反対闘争で闘っていた動力車労働組合の大会の昼休み時に上演したことがある。
 この作品は、上演時間はわずか一時間。簡単な衣装と小道具さえあれば、どこでも上演可能ゆえ、劇場ではない労働者集会などさまざまな場で上演されてきた。最近では、二〇〇一年に大阪の演劇創造集団「ブレヒト・ケラー」が市川明氏の翻案劇『ゴビ砂漠殺人事件』(演出=堀江ひろゆき)という題名で上演し、その後二〇〇八年には韓国公演を行うなど注目すべき活動があるものの、わたしの知る限り日本ではブレヒトの教材劇自体の上演は、今や皆無になりつつある。

「例外と原則」の今日性

 その理由のひとつに、ブレヒトの教材劇は、娯楽的なお芝居ではなく、社会変革とつながった新しい表現と形式、演劇の機能、在り方を追求したものであり、しかも観客を特に必要とせず、演じるものが学ぶための演劇である点にある。このことは今日の演劇がいかに社会変革とは程遠いものとなっているかを逆照射している。
 今日のような新自由主義的資本主義の下で富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなり、野蛮な戦争が押し進められている時代において、「人間が卑しめられ、隷属させられ、見捨てられ、蔑まれる存在にしておかれるような諸関係を覆すこと」(マルクス)を考える際、『例外と原則』の有効性は失われていないどころか、逆にますます高まっていると言える。しかしその際、この作品の上演が日本の現状を見据えて、苦力や案内人に、劇の進行とは別な選択、行動の可能性はなかったのだろうかを考えたり、議論することが必要なのではなかろうか。
 特に、ハーンの宿場を出てウルガに向かう砂漠の道からは、商人は警察の保護が得られない。それゆえ苦力と団結されては困るので意に従わない案内人は解雇されたにもかかわらず、苦力は先行きの危険性に気付いていない。一方、宿場を離れると、商人と苦力の力関係は、何も失うものがない苦力の方に、逆に有利でさえある。商人は苦力なくして旅はできないからだ。それゆえ一見強気ではあるが、苦力のささいな行動にびくびくしている。苦力は支配者の危機に気づいていない。そのため依然として、商人の意のままに働かないと首になると思い込み、積極的に商人の機嫌をとり、危険な川を渡り、自ら足跡を消したり、最後には案内人からもらった水筒まで商人に差し出そうとして、商人に殺される羽目になる。
 果たしてこの苦力にどんな知恵があれば、この難局をくぐりぬけて無事家族の住む村に戻ることができたのであろうか? この作品は、冷酷無情な商人を「無罪」とする裁判所や支配構造を暴き、資本主義社会の「例外と原則」について再認識するだけでなく、抑圧されていながら闘いが起きえない状況の要因をさぐるための教材として活用すべきだと思う。
 それを見つけ出す集団的作業の中から、参加者が階級的な視野とともに変革への希望を取り戻し、主体性を回復することが可能だといえる。さらには演技者の身振りも説明的な演技ではなく、挑発的で論争的な問いかけを孕んだ表現になりうるのではなかろうか。こうしたことを改めて考えさせてくれた劇団どろの舞台に感謝したい。【大橋省三】

(『思想運動』986号 2016年9月1日号)